私は小さい出版社で雑記記事を書いている。内容は時期や季節によって様々で、今回の特集は「仏教の修行」だった。
取材先として選ばれたその寺はかつて過酷な修行をしてきたことで知られておりその歴史が現代にまで残るほどだった。
その寺は小さいながらも荘厳で、境内には室町時代に作られたという石碑も置かれている。
「ようこそお越しくださいました」
出迎えてくれた寺の住職は六十代ほどの男性で笑い皺が特徴の好々爺だった。どんな質問にも丁寧に答えてくれて笑顔を崩さなかったのをよく覚えている。
「昔はここでとても厳しい修行をしていたと聞きましたが」
「よくご存知で。今日1番聞きたかったことはそれでしたよね」
住職は少し間を置き続けた。
「まだ仏教というものが試行錯誤を続けていた時の話ですが、悟りを開くために様々な修行が行われました。その中にはとても現代では考えられないものも存在します」
住職は境内の奥の方に目をやる。
「この奥には御廟があります。よければそちらでお話しを続けましょうか」
御廟。貴族や高僧などが祀られる墓所である。本堂から少し歩くと見えてきたそこは木々に囲まれさながらパワースポットといった雰囲気で、廟自体も石造りの厳粛な佇まいだった。
誰のものかと尋ねると、住職はかつてこの寺での厳しい修行を行った高僧のものだと答えた。
「気が狂い何人も亡くなっていった中、修行の果てまでたどり着いた人物だと言われています」
御廟の内部、内陣という部屋に通されると、そこには畳張りの部屋があり中央の一部分だけ畳が剥がされ土が露出していた。その場所を上から天幕のようなもので四方を覆い外からは見えなくして、ちょうど真上に天窓をつけ光を取り込んでいる。
「ぜひ中を見てください」
天幕をどかし中を見ると、土の上に僧侶が座禅の状態で座っており一目見ただけで亡くなっているのがわかる風貌だった。身体は痩せこけ土の色をしており皮膚はまるで樹皮のように固く乾燥している。眼球があった場所は暗く窪み唇のなくなった口元には茶色の歯が露出している。朽ちてはいるが高貴な服装で位の高い人物だと分かった。
「……即身仏、ですか?」
「少し違います」
「違う?」
「あれは修行の末自身をいわゆるミイラにして永遠に祈りを捧げる生き仏と言うもの。しかしこの方は違います。まだ本当に生きておられる」
生きている。私は言葉の意味が理解できなかった。
住職は外の井戸から汲んできた水を周りの土に与えた。
「修行の果てにたどり着いたと言いましたね。まだたどり着いただけ。この方は未だ生きて修行中です」
「何かの比喩ではなく?」
「はい。結局のところ修行というのは精神の矯正であり人、いや生物本来の精神の形からかけ離れたものを目指しています。奇形の精神です。この方はその結果が『こう』現れたようですね」
住職の指さす先は、水を撒いた地面だった。よく見ると何か白いものが服の中から飛び出して見える。私はしゃがみそれを確認すると、まるで植物の根のようだった。
「これ……いやでも、服の中に植物が生えているんじゃ……」
「我々もそう思い一度調べてもらいましたが、やはりこの方から生じたものです。たまの水やりと日光で生命を維持しています。もちろん呼吸もされています。口や鼻からではないようですが」
水に濡れた土が天窓からの光でキラキラと輝いていた。
「それでは、この方は続けていくうちに悟りを開けるのでしょうか」
「分かりません」
意外な答えに私は面食らってしまった。住職はまだ笑顔を絶やしていない。
「悟りを開いたとされる人物は過去何名かいらっしゃいますが、どこまで辿り着けばそれを悟りとするのか、また悟りを得た人間がどうなるのか誰も分かりません」
「なので、こうして観察しているわけです。何百年も」
何百年。確かにその年月このままの状態ならもっと身体は朽ち果てていてもおかしくない。私は今まで写真で見た即身仏を思い出したが、確かにそれらよりも身体がしっかりと残っている。隅々を観察している時、窪んだ黒い穴から視線のようなものを感じた。
「万が一、万が一ですよ。これが悟りとは無関係で、修行に失敗し実は良くない方向に進んでいるということもあり得るのですか」
「あり得ますでしょう。悟りというものは我々凡人の尺度では測れるません。だから我々は観察するのです。いつまでも」
数枚写真を撮り御廟を後にする私に住職が話しかける。
「あなたはあの方を見てどう思いましたか人間か、それとも植物か」
「……人間?」
相当返答に迷ったが、それを聞くと住職はそれはよかった、とにこりと笑った。
御廟を出る前、ふと裏手が気になった。覗きにいくとそこには無数の石塔のようなものが並べられてあった。長い年月雨風に晒されたのだろう、中には原型を留めていないものも少なくなかった。
精神の奇形……。私は住職の言葉を思い出し足早にそこを去った。結局撮った写真と取材内容はほとんど使う事はできずお蔵入りとなった。
